先日、近所である立て看板を見つけました。墨で書かれた文字は殆ど消えてしまっているものの、凹凸から「笠間焼発祥の地」と記されているのが読み取れました。

久野陶苑が笠間焼の発祥と聞いてたいたが、もしかしたら同じ様な云われのある場所というのは、他にもあるのかも知れない。そんなことを考えながら、とりあえず看板の周囲の草を刈っておきました。

立て看板の奥の方に彫刻があるのが見えたので近くに行ってみると、生前笠間で制作活動されていた富樫一さんの物と思われる石彫がありました。
再来年には歩いて数分の所に道の駅ができるというこの場所。地域で大事にしていければ良いなと思いました。


笠間焼の歴史について、色々な説もあると思いますが、本などで調べたものや引用したものを備忘録として書き出しておきます。


 笠間の窯業というのは、安永年間(1772-1780)に信楽の陶工 長右衛門が箱田(笠間市)の久野半右衛門に指導をして窯を焼いたのが始まりとされている。 その後、常陸笠間藩の第3代藩主 牧野貞喜(1758~1822)が自ら城内でお庭焼をする(1790年)ほか、政策によって窯業を保護し発展したとされる。

 明治初年に始まった戊辰戦争(1868~1869)の影響で衰滅しかけていたところ、美濃(岐阜県)大垣の陶器商 田中友三郎(1829~1913)が32才のときに笠間に来て、その後移り住み、宇津窯(笠間市手越)を借家、集品販売の基地とした。又、仕法窯の一つであった関根源蔵窯(笠間市石井)が経営難となっていたところ、友三郎は明治2年(1869年)に窯を譲り受け、当時この窯にいた20数名の陶工と共に経営を始めた。久野半右衛門の始めた箱田焼、山口勘兵衛(現 いそべ陶園)が始めた宍戸焼等を総称して笠間焼と呼び、江戸方面等に販路を広げるようになったとされる。

手越に於ける窯業:

 嘉永元年(1848年)2月、宇津惣右衛門が手越の自宅近くで井戸掘りをしていた時、通りかかった渡辺進から良質の粘土の出ているのを見て、この粘土なら焼きものになると教えられ窯業を考えた。*渡辺進に教えられるまま陶業を始めることにした。
始めてみると良い焼き物が出来たので、本格的に窯を築いて、日用雑器から各種の製品を造った。中でもここで造られた土瓶はコマ型土瓶とよんで愛用されるようになった。 「笠間焼 200年のあゆみ」 より引用
*渡辺進 奥州(福島県)会津出身の陶工。惣右衛門の窯にとどまり、一生をこの窯で終始した。

宍戸焼について:

 寛文五年(1665年)、水戸光圀公より清国から招聘された朱舜水は、学問とともに南支那の宗胡録の系統の製陶技術を持っ土師を連れて来たので、水戸藩にその技法が伝わったといわれている。

当時は東茨城郡小川村の地に窯を築かせ、刷毛目の土瓶などを造ったという。そしてこの上小川の陶法を山口勘兵衛が学んで、後にこれを宍戸藩に移したと伝えられている。この勘兵衛が宍戸で作った土瓶というのは山水土瓶で、梅に筑波山を描いたものだといわれている。

 安政元年(1854年)に水戸公が領内各地の土質を検査させた。その時那須郡大山田村小砂に良質の粘土を発見したので、瓦師 福井仙吉や手島勘吉の家来二人と山口勘兵衛等を招いて窯場を築いた。小砂の粘土は鉄気の含有しない良質の粘土なので、この粘土に燧石などを調合して、安政元年(1854年)九月、1700度以上の高熱に長時間耐えられる煉瓦を作ることに成功したのである。これが水戸公の作られた反射炉で、それに使われたのがこの耐火煉瓦である。その後小砂の窯は粘土がよいので十四、五基の窯数になって焼物の生産に栄えたという。 「笠間焼 -陶業史-」 より引用

笠間焼以前:

笠間では、涸沼川を中心とする北吉原・下市毛・来栖・石井・愛宕台・寺崎・佐白山腹・木崎・飯岡・箱田・片庭・大渕等の台地に広く、縄文・弥生・須恵器などの古代焼物の土器と生活文化が発達していたという。

 飛鳥時代の終わりに仏教伝来があって間もない、白雉4年(653年)佐白山に正福寺ができたが、この寺院は後に笠間時朝の笠間進入の元久2年(1205年)僧坊の破却まで続いた。当時、この寺では燭台・皿等の祭祀用具に焼物が使用されていた。

また、元久2年(1205年)には同じ佐白山に笠間時朝により笠間城が築城された。この城は、明治4年(1871年)の廃藩置県まで続いていたが、布目瓦や皿・壺などが使われていた。

 手越の東性寺では、享保4年(1719年)・延享5年(1748年)と銘のある焼物が発見されている。

参考:

笠間焼 200年のあゆみ(茨城県立歴史館 1997年発行)

笠間焼 -陶業史-(小林三郎著 昭和42年2月20日発行)

笠間焼の歴史 – 笠間焼協同組合ホームページ


追記

後日、再び散策をしたところ、登り窯のあった場所を見つけました。

登り窯跡

倒れた窯の壁

柿釉の瓶やすり鉢等の陶片